私が死ぬまでのX年計画
奇しくも、本日は「逃げるは恥だが役に立つ」の最終日。
役に立たないことばかり考えている自分とはおおちがいだ。
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いつからか、漠然と、人生は下り坂のように考えていたと思う。
何も考えずに過ごしていた子供時代。
好きなことに打ち込めた学生時代。
それを終えて、社会人は?
社会人が灰色の生活だと考え始めたのは、いつからなんだろう。
社会人は仕事をする。
仕事=辛いもの、苦しいもの、と思い始めたのはいつからなんだろう。
よくわからないけれど、いつからか自分の中には、学生時代がまでがピークで、
社会人になった時点で人生急降下、というイメージがついていて、これはどうも変えられないものだった。
そんな私の人生に転機が―
訪れるはずもなく、25歳。
熱中するものを見つけるにも遅く、もう人生老後的な感覚。
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なので、終活をすることにした。
1人で死ぬのは意外と大変である。
考えただけでも、遺言やら火葬費やら保険やら。
アパートでぱったり死んだ日には、片付け費用だのなんだの請求されるだろうし、まずこの汚い部屋を人様に片付けていただくというのはなんという恥さらしだ
(死んでいるだろうけど)。
自殺をしたらしたで大変だ(母が自殺をして大層大変だった)。
だいたい、いろんなものを抱えすぎだ。
死ぬなら、きちんと整理をしてから。
だから、調べることにした。
もう終活をして、いつでも人生終わってもいいようにしよう。
でも人には迷惑をかけずに死にたい。
そのためには、やることがたくさんある。
葬儀費を貯める、部屋を片付ける、遺言を書く、奨学金を払うー
これは、死ぬために生きるX年計画。